息子の誕生日
昨日、6月21日は息子の誕生日。
早いもので、もう6歳になる。
ミュージシャンを目指して上京し、音楽に挫折しても音楽が好きで、
名前は音楽にちなんだ名前にしたいと音を付けた。
ちなみに上の子に付けたのは歌。
お姉ちゃんがVoで、弟がGt。
そんな願いも少し入ってる(笑)
名前は人をよく表すのか、お姉ちゃんは歌は上手だけど、弟は音痴。
面白いなぁと思う。
宝物のような存在
19日が父親参観日で、息子の幼稚園に行ってきた。
色々な子どもがいる。
ぼーっとしてる子。
元気な子。
落ち着きのない子。
ふざけてる子。
それぞれ個性がみんなあっていいなと思う。
この個性が学校教育で埋もれて行かなければいいなと思いながら自分の子どもを見てみると、元気に歌ったりふざけたり楽しそうにしている。
そんな姿を見ると、すくすく育ってるんだなと安心する。
あまり家に帰れてないので、息子の成長している姿や普段の姿を見れるのは純粋に嬉しい。
そんなせいもあって、たまに帰ったときには思いっきり遊ぶようにしている。
今回は行きたいされてたカラオケに行き、その後にアスレチック。
だから、子どもにとってのパパは遊んでくれる人、色んなとこへ連れて行ってくれる人。
父の日のプレゼントに手紙をもらったけど、やっぱり遊んでくれる人だった(笑)
まだ、大好きとかくっ付いてきたり、子どもらしい関わりをしてくれる子どもたち。
これから成長して大人になって行くと、関わり方は変わっていくのだろうけど、今と変わらず、ずっと宝物のような存在でい続けて欲しい。
親が子どもを育てるのではなく、子どもが親を育てる
子どもが生まれた時は自分は人生のどん底で、生きている価値を何も感じれなかった時。
父親になる自信も自覚もなかった。
妻が9歳上で、もう子どもを産まないと高齢出産という必要に迫られての選択。
妻は39歳と41歳で生んでいるが、今は医療は進歩していて、高齢出産は43歳からと産婦人科で言われてびっくりしたのを覚えている。
それでも不思議なもので、父親になると父親としての自覚が自然と出来てくる。
親が子どもを育てるのではなく、子どもが親を育てるとは本当にそうだと実感する。
子どもが生きる意味にはならなかったけど、子どもが支えの一つであったのだと今は分かる。
そんな自分も、今は毎日生きる価値を実感し、自分らしく日々を生きている。
これからは自分の生き様でパパとして、子どもからカッコいい!と思って貰えるようなパパでありたいと思う。
カッコいい大人
子どもたちの未来は、やはり大人が示すもの。
大人がつまらなそうに生きていては、子どもは「未来はあんなのかぁ」と思う。
子どもは大人との出会い、人との出会いで大きく変わる。
私は大嫌いだった社会を中学の先生に大好きにしてもらった。
小学校から高校まで、私に関わってくれた大人は、自分の夢を語り、私の夢を本気で応援してくれた。
一緒のなって遊んでくれたり、本気で関わってくれた。
それが私の財産にもなっているし、今の自分を形作っている。
大人が子どもに与える影響は大きい。
カッコいい、子どもが憧れる、子どもと本気で関われる、そんな大人でいたいし、そんな大人を増やしていきたい。
愛情を注ぐ
発達心理学では子どもが人間になるために、無条件の愛に恵まれなければならないという。
親の望みではなく子どもの望みを叶えてあげる必要がある。
子どもはどれだけ甘やかしてもいいから望みを叶えてあげる。
そうして愛情を注がれると、ちゃんと心が育っていく。
心理学を学んだせいもあり、子どもへの関わりも変わってきた。
また帰ったら、肩車とか抱っことか、トランプとか子どものしたいことをたくさん叶えてあげようと思う。
新宿・都内のカウンセリング
うつ病(予防)克服カウンセラー 林真路